ジャニーズを好きになった
中学の頃からオタクになった。
所謂2次元オタクで初恋もマンガのキャラなのかもしれない。周りがアイドルとか俳優さんにキャーキャー言ってても全く興味がなかった。
高校に入ってからは2.5次元を好きになり、3次元の俳優さんに格好いい!!って思うようにもなったけどあくまで作品がベースにあったし、その作品の俳優舞台に出てなかったらその人のことも好きにはならなかったと思う。
そんな私が大学生になって関ジャニ∞を、ジャニーズを好きになった。
中学の友人からも、高校の友人からも、母親からもジャニーズを好きになったん!?ってめちゃくちゃに驚かれた。
きっかけはYou Tubeだった。
部活を辞めてやることのなかった私は延々You Tubeを見て時間を溶かす毎日を過ごしていた。
そんなときにたまたま見たクロニクルの動画がそれはもうめちゃくちゃに面白かった。
7人が中学生みたいに騒いでて、アイドルらしからぬ発言をしたりするのに死ぬほど笑った。
一人で家で大声出して笑った。
けどそのときはまだ面白くていいなぐらいの感覚だった。
それからしばらくするうちにパフォーマンスを見た。
見事に落ちた。
いや、正確には落ちたことには気づいてなかった。
え!?めちゃくちゃ格好いい……ってなったもののまた彼らの笑いの部分を楽しく見ていた。
気づいたら笑いとパフォーマンスとを両方見るようになっていた。
このままだと沼るな~ぐらいの感覚だった。
このあとは正直よくわからない。
気づいたときには関ジャニ∞が凄く好きだとなっていたし、大倉くんの笑顔が大好きになっていた。
けどそのときには彼らはもう7人ではなかった。
私が一番好きな歌声の彼はもう居なかった。
しかしテニミュで1stを好きになっていたこともあって今はない形を好きになることには慣れていた。
初めてのライブDVDはJAMを買った。
凄く、凄く好きだと思った。
彼らの歌声が凄く好きだと思った。
一人一人の違う声色がグループとして、一つのものとして完璧だと思った。ずっと聞いてたいと思った。
バンドの曲も、ダンスナンバーもずっとキャーキャー言いながら見ていた。
アイドルってこんなにも見ている人に幸せを、元気を与えてくれる存在なんだということを初めて知った。
高校生のときは洋楽だったり、バンド曲を聞いていた。
アイドルなんてどうせ口パクだろうと内心バカにしていた。
かっこつけてキャーキャー言われてるだけなんて斜に構えていた。
しかしそんなことは全くなかった。
彼らの歌声は、彼らの一挙一動は、エネルギーを与えてくれた。
DVDにもかかわらず、キラキラした、幸せな空間と時間を与えてくれた。
“関ジャニ∞”という存在が大好きだと思った。
そしてそれは6人でも変わらなかった。
変わったけれど、変わらずにキラキラしていたし、面白いし、可愛いし、格好良かった。
十五祭では8人→7人→6人となったことに触れないのではなく、自分たちの歴史として進み続ける演出になんてつよいんだと思った。
私の好きなグループはなんて最高なんだと幸せだった。
そこにいる6人は関ジャニ∞として完全で、完璧で、最高で、永遠だと思った。
しかし現実は、華々しくツアーが終わるとまた一人、袂を分かった。
驚き、悲しみ、なんでなのという気持ちがいっぱになるよりも先に虚無感が心を占めた。
頭が空っぽになった。
時間が経つにつれ、少しずつメンバーの口から色々なことが聞けた。
もちろん知りたかったことすべてを知れたわけではないし、むしろ知れなかったことのが多い。
しかし私が何より嬉しかったのは5人が“関ジャニ∞”残る、私が大好きな“関ジャニ∞”という形を残すという決断をそれぞれしてくれたことだ。
彼らは私達よりずっと前を歩いてる。
私達が知らないところで問題にぶつかり、考えて、話し合って、そして出た答えだけを私達は知ることが出来る。
5人になって、満身創痍にも関わらず彼らは止まることなく走り続けることを選んだ。
それが自分たちのやり方だと言った。
その一方で着いてこられない方がいるのは仕方がないし立ち止まってても良いと言った。
もう一度前を向いたときに僕らがそこに立っているからと。
あぁ、好きだなと思った。
私が好きになった“関ジャニ∞”は変わってしまったけど変わらないままなんだなと心の底から実感した。
そこにあった歌声、そこにあった絡み、ボケ、ツッコミ、姿の一部はなくなってしまったけど変わらないんだなと。
RebornではなくUpdateなんだ。
そこにいる彼らはいつでも最高で最強の姿を見せてくれる。
こんな素敵な人たちに、こんな素敵なグループに出会えて、好きになれて本当に幸せだ。
私の人生に新たな彩りを与えてくれたあなた達をこれからも応援させてください。